真夜中に目が覚めて考えること。
- 2015/02/03
- 23:58
こんばんは。
先日、娘が一歳五ヶ月になりました。
特にお祝いごとはしませんでしたが、よく食べ、よく遊び、よく眠る、その姿を見ているだけで、しみじみ嬉しくなってくるものです。
夜中に目が覚めて、横で寝ている娘の顔をぼんやり眺めることがあります。
布団からはみ出して冷えてしまったその手をそっと握ると、意外なほどに強くたくましい脈拍。
こんなに小さいけれど、しっかり生きている。
当たり前に思えるけれど、よく考えたら奇跡。
このままずっと健やかに成長してほしい。
親の切なる願いです。
子どもたちが生きる未来は明るいものであってほしい。
新年早々、世界は悲しみで満ちています。
どうしてこんなにたくさんの命が奪われなければならなかったのか。
考え方の違いや誤解、いきすぎた冗談や軽はずみな失言。
いけないことはたくさんあった。
だけど、こんなやり方はひどすぎる。
世界には色々な人がいて色々な考え方がある、それはそうだよくわかる。
だけど、「人の命は尊い」ということ、それだけは全人類共通であってほしかった。
人間としての大前提を共有できない相手と理解しあうためには、どれほどの時間と犠牲が必要なのか。
アメリカ人だから、フランス人だから、日本人だから、それだけの理由で憎しみが生じるような世界で、どんな形の平和を望めばいいのか。
もうだいぶ前の話。
僕は教育に携わる仕事に就いていた。
有名中学を受験する子供たちに、現代文の読解を教える仕事。
今はどうだか知らないけれど、当時の受験国語における物語文のトレンドは「異なる他者への理解」 だった。
少年少女が、自分とは違う考えを持つ第三者と出会い、相手を理解しようと努める中で成長していく、という筋書きがいかに多く出題されたことか。
なぜそういうテーマの文章が好んで出題されたのかと言えば、学校側がそういうテーマを汲み取れる子=異なる他者への理解ができる子を求めていたからだと思う。
何が正しい、何が悪い、それは一概に言えない。
どんどん複雑になっていく世界の中で、二元論は通用しない。
絶対的な解答なんて初めから存在しない、ということを出発点にすれば、常に思考し続けることの重要性が見えてくる。
異なる他者を理解するために思考し続けること。
「勝つ」か「負ける」か、どちらかしかない世界。
この場合、「負ける」って一体どういうことだったのだろう。
そもそも、そんな馬鹿げたゲームを「辞める」という選択肢はなかったのか。
「どうかお願いです、その人の命を助けてください」と、なりふり構わず言えたらどうだったんだろう。
あの国は臆病だ、暗黙の了解を破る裏切り者だ、と後ろ指をさされても構わずに。
「日本というのは、自国民の命を守るために取り乱すほど必死になる国だ」、それは果たして悪口なのか。
いちいち周りの評価やしがらみを気にしなきゃならない、それが人の命に関わる時でさえも。
これから世界はどうなっていくのだろう。
この国は「集団で戦争に参加する権利」の確立に向けて加速していくのだろうか。
こんな夜中に考えてもろくなことは思いつかない。
とかく世知辛い世の中だから、たかがパン屋のくせにえらそーなことを言うな、とお叱りを受けるかもしれない。
早く寝てしまうに限る。
せめて子どもたちの明るい未来を願いながら。
鬼は外。
先日、娘が一歳五ヶ月になりました。
特にお祝いごとはしませんでしたが、よく食べ、よく遊び、よく眠る、その姿を見ているだけで、しみじみ嬉しくなってくるものです。
夜中に目が覚めて、横で寝ている娘の顔をぼんやり眺めることがあります。
布団からはみ出して冷えてしまったその手をそっと握ると、意外なほどに強くたくましい脈拍。
こんなに小さいけれど、しっかり生きている。
当たり前に思えるけれど、よく考えたら奇跡。
このままずっと健やかに成長してほしい。
親の切なる願いです。
子どもたちが生きる未来は明るいものであってほしい。
新年早々、世界は悲しみで満ちています。
どうしてこんなにたくさんの命が奪われなければならなかったのか。
考え方の違いや誤解、いきすぎた冗談や軽はずみな失言。
いけないことはたくさんあった。
だけど、こんなやり方はひどすぎる。
世界には色々な人がいて色々な考え方がある、それはそうだよくわかる。
だけど、「人の命は尊い」ということ、それだけは全人類共通であってほしかった。
人間としての大前提を共有できない相手と理解しあうためには、どれほどの時間と犠牲が必要なのか。
アメリカ人だから、フランス人だから、日本人だから、それだけの理由で憎しみが生じるような世界で、どんな形の平和を望めばいいのか。
もうだいぶ前の話。
僕は教育に携わる仕事に就いていた。
有名中学を受験する子供たちに、現代文の読解を教える仕事。
今はどうだか知らないけれど、当時の受験国語における物語文のトレンドは「異なる他者への理解」 だった。
少年少女が、自分とは違う考えを持つ第三者と出会い、相手を理解しようと努める中で成長していく、という筋書きがいかに多く出題されたことか。
なぜそういうテーマの文章が好んで出題されたのかと言えば、学校側がそういうテーマを汲み取れる子=異なる他者への理解ができる子を求めていたからだと思う。
何が正しい、何が悪い、それは一概に言えない。
どんどん複雑になっていく世界の中で、二元論は通用しない。
絶対的な解答なんて初めから存在しない、ということを出発点にすれば、常に思考し続けることの重要性が見えてくる。
異なる他者を理解するために思考し続けること。
「勝つ」か「負ける」か、どちらかしかない世界。
この場合、「負ける」って一体どういうことだったのだろう。
そもそも、そんな馬鹿げたゲームを「辞める」という選択肢はなかったのか。
「どうかお願いです、その人の命を助けてください」と、なりふり構わず言えたらどうだったんだろう。
あの国は臆病だ、暗黙の了解を破る裏切り者だ、と後ろ指をさされても構わずに。
「日本というのは、自国民の命を守るために取り乱すほど必死になる国だ」、それは果たして悪口なのか。
いちいち周りの評価やしがらみを気にしなきゃならない、それが人の命に関わる時でさえも。
これから世界はどうなっていくのだろう。
この国は「集団で戦争に参加する権利」の確立に向けて加速していくのだろうか。
こんな夜中に考えてもろくなことは思いつかない。
とかく世知辛い世の中だから、たかがパン屋のくせにえらそーなことを言うな、とお叱りを受けるかもしれない。
早く寝てしまうに限る。
せめて子どもたちの明るい未来を願いながら。
鬼は外。
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