パンと神
- 2015/06/03
- 22:32
こんばんは。
ずいぶん昔の話になりますが、ヤマハ音楽教室に通っていた時期がありました。
音楽好きな母の意向で、エレクトーンを習わせてもらっていたのです。
まだ小学校に上がったばかりの頃で、どういうレッスンを受けていたかはあまり覚えてないのですが、ろくに練習もしなかったし、熱心な生徒ではなかったように思います。
当然上達するわけもなく、大人になった今も楽器はおろか楽譜すら読めません。
今さらですが楽器を弾ける人に強い憧れを抱くようになってきて、あの頃ちゃんと練習してればな、と。後悔先に立たず。
当時のことでただ一つおぼろげに思い出せるのは、よくUFOの話を聞かされた、という記憶です。
その先生は何故かその方面に傾倒していて、時にはレッスンそっちのけでUFOについて熱弁をふるい、怪しげなイラストを描いてくれるのでした。
おかげで僕はすっかりUFOの虜になり、それはそれで楽しい子供時代を過ごしました。
今でもTVでそっち系の番組があると見てしまうし、UFO、、、いるかもな、、とちょっぴり信じていたりもします。
そんな僕ですが、そういう未確認物体的なもの、目に見えないもの全般を信じているわけではありません。
たとえば神。
神様はいるのか。
という根源的な問いかけに対して、即答することは難しいです。
ただ少なくとも僕は特定の宗教を信仰していないし、日々の生活で神を意識することもありませんでした。
これまでは。
今年初めに、大宮八幡に毎年恒例の初詣に行って、いつもは交通安全のお守りを買うくらいなのですが、今回はそこに商売繁盛の木札を追加しました。
高いのと安いの二種類あって、安い方の、小さいのを買いました。
店の中に飾って、毎朝拝んでます。
朝、通勤で八幡様の前を通る時は心の中でいつもありがとうございます的なことをつぶやきます。
特に深い意味はなく、今日もよろしくお願いします、っていう、仕事始めの朝礼みたいなものです。
そんな風に、情熱的な信仰心とは縁遠い僕ですが、たまに神を意識せざるを得ない瞬間があります。
本日の16時半に焼き上げたバゲットはあまりに素晴らしく、自分の力を遥かに超えた、何者かの仕業に思えました。
パンの神様が降りてきた、としか形容のしようがない。
発酵の時間と強さ、温度湿度、生地中のph、微生物のバランス、糖分や塩分の濃さ、クープの入り具合、その他諸々の条件が限りなく調和して、奇跡的なバランスが保たれた時、奇跡的なフランスパンが焼き上がります。
そういう奇跡的な瞬間をうまく形容するための表現として、神、という言葉を借ります。
真面目にパンを作っている人間ならきっとわかると思いますが、毎日80点以上のバゲットを安定して焼き上げ続けることがどれだけ困難か。
そして時にそれが100点満点に限りなく近づいた時、それがどれだけ希有な瞬間か。
結局のところ、本気でパンを作ろうとすればするほど、そしてそれがシンプルなパンであればあるほど、自分ではコントロールできない部分、目には見えない微生物の世界がパンを左右していることに気づくわけで、要するに自分の力を過信してはいけない、という一つの結論にたどり着きます。
そういうことを考えながら焼き立てのバゲットをかじっていると、パンというのは何と奥深いものなのか、とその果てしなさに感嘆し、小麦の力、微生物の力、ひいては大地、そして人智の及ばない力、つまり神的なものに感謝したくなるような、何とも言えない気持ちになるのです。
そんなわけで、また明日から「完璧なバゲット」を追い求めて、引き続き精進します。
よろしくお願いします。
ずいぶん昔の話になりますが、ヤマハ音楽教室に通っていた時期がありました。
音楽好きな母の意向で、エレクトーンを習わせてもらっていたのです。
まだ小学校に上がったばかりの頃で、どういうレッスンを受けていたかはあまり覚えてないのですが、ろくに練習もしなかったし、熱心な生徒ではなかったように思います。
当然上達するわけもなく、大人になった今も楽器はおろか楽譜すら読めません。
今さらですが楽器を弾ける人に強い憧れを抱くようになってきて、あの頃ちゃんと練習してればな、と。後悔先に立たず。
当時のことでただ一つおぼろげに思い出せるのは、よくUFOの話を聞かされた、という記憶です。
その先生は何故かその方面に傾倒していて、時にはレッスンそっちのけでUFOについて熱弁をふるい、怪しげなイラストを描いてくれるのでした。
おかげで僕はすっかりUFOの虜になり、それはそれで楽しい子供時代を過ごしました。
今でもTVでそっち系の番組があると見てしまうし、UFO、、、いるかもな、、とちょっぴり信じていたりもします。
そんな僕ですが、そういう未確認物体的なもの、目に見えないもの全般を信じているわけではありません。
たとえば神。
神様はいるのか。
という根源的な問いかけに対して、即答することは難しいです。
ただ少なくとも僕は特定の宗教を信仰していないし、日々の生活で神を意識することもありませんでした。
これまでは。
今年初めに、大宮八幡に毎年恒例の初詣に行って、いつもは交通安全のお守りを買うくらいなのですが、今回はそこに商売繁盛の木札を追加しました。
高いのと安いの二種類あって、安い方の、小さいのを買いました。
店の中に飾って、毎朝拝んでます。
朝、通勤で八幡様の前を通る時は心の中でいつもありがとうございます的なことをつぶやきます。
特に深い意味はなく、今日もよろしくお願いします、っていう、仕事始めの朝礼みたいなものです。
そんな風に、情熱的な信仰心とは縁遠い僕ですが、たまに神を意識せざるを得ない瞬間があります。
本日の16時半に焼き上げたバゲットはあまりに素晴らしく、自分の力を遥かに超えた、何者かの仕業に思えました。
パンの神様が降りてきた、としか形容のしようがない。
発酵の時間と強さ、温度湿度、生地中のph、微生物のバランス、糖分や塩分の濃さ、クープの入り具合、その他諸々の条件が限りなく調和して、奇跡的なバランスが保たれた時、奇跡的なフランスパンが焼き上がります。
そういう奇跡的な瞬間をうまく形容するための表現として、神、という言葉を借ります。
真面目にパンを作っている人間ならきっとわかると思いますが、毎日80点以上のバゲットを安定して焼き上げ続けることがどれだけ困難か。
そして時にそれが100点満点に限りなく近づいた時、それがどれだけ希有な瞬間か。
結局のところ、本気でパンを作ろうとすればするほど、そしてそれがシンプルなパンであればあるほど、自分ではコントロールできない部分、目には見えない微生物の世界がパンを左右していることに気づくわけで、要するに自分の力を過信してはいけない、という一つの結論にたどり着きます。
そういうことを考えながら焼き立てのバゲットをかじっていると、パンというのは何と奥深いものなのか、とその果てしなさに感嘆し、小麦の力、微生物の力、ひいては大地、そして人智の及ばない力、つまり神的なものに感謝したくなるような、何とも言えない気持ちになるのです。
そんなわけで、また明日から「完璧なバゲット」を追い求めて、引き続き精進します。
よろしくお願いします。
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