リクエスト・ライン
- 2019/03/18
- 16:23
近所にジャズ喫茶がある。
なかなかタイミングが合わないのだけど、うまく時間が出来た時はマスターが出てくる夕方の時間に合わせて行く。
少し前のある夕方。
スピーカー前の長机に席をとり、いつものようにオーダーをする。
コーヒーが運ばれてくるまで、とりとめもなく週刊誌を流し読みする。
何も考えない。
飲み終えてからしばらくして、そこにコーヒーがあったことに気づく。
無。
その時、唐突に声をかけられる。
音の中から現実の自分に戻ってくるまで、少しのブランクが生じる。
「何ですか?」
と聞き返す。
「何かかけますか」
と聞かれる。
問いかけの意味を理解するまで、また少しのブランクが生じる。
マスターと目が合う。
前はよくこんなことがあった。
何年か前。
この店でコーヒーを飲んでいたら、「何かかけますか」と聞かれた。
どうやら曲のリクエストをたずねられているらしかった。
突然のことにとまどいつつ、ふと頭の中に浮かんだテテ・モントリューの名前を口にした。
するとマスターはにこやかに笑いながら、どれがいい?と棚からLPをごっそり抜いて見せてくれた。
僕はオータム・イン・ニューヨークをリクエストし、コーヒーを飲みながら音に身を委ねた。
今にして思えば、あれは「当たり」だったのだろう。
それからもその店に行くと、「何かかけますか」と聞かれることがあった。
最初こそ唐突な問いかけにとまどったものの、僕は次第にリクエストを聞いてもらうのが楽しみになっていった。
そして数年前のある日の夕方。
思い思いに過ごすお客さんの中、
「何かかけますか。」
久々の一言。
「チャーリー・ヘイデンのジタン」
僕は何気なく答えた。
マスターは静かにレコードを置き、針を落とした。
曲が終わり、店を出る時。
「もっと違う感じ(のをリクエストされるんだ)と思ってた。」と、言われた。
そうですか、とか何とか言って店を出て、特に気にすることもなく帰った。
しかし、それからは僕がその店に行っても、「何かかけますか」と聞かれることはなくなった。
僕は以前のように黙ってコーヒーを飲み、マスターの選曲に耳を傾けた。
時には曲間の静寂に、何かしらの答えを見つけようとした。
今にして思えば、あれは「外れ」だったのだろう。
何が当たりで何が外れなのか、それはわからない。
ここには僕のぼんやりとした憶測が含まれている。
ただ、自分の都合以外にも、考えるべきことがあったのかもしれない。
少なくともそれが自分の部屋ではなく店の中であり、他にお客さんがいる状況であれば。
そして今。
マスターが僕を促すように見ている。
さっき流れてた曲、あれ何だっけ、思い出せない。
自分以外のお客さんを見回す。
少しだけ考えて、「ブッカー・アーヴィンの枯葉。」と言う。
マスターが棚からレコードを取り出し、プレーヤーにセットする。
聞き慣れたイントロ。
枯葉が終わって、マスターが次のレコードをつなぐ。
片面が終わったところで、
「何かかけますか」
唐突に言われる。
「え?」と思ったけど、率直に、その時一番先に頭に浮かんできたアルバム、「バルネ・ウィランのサンジェルマンのライブ」と答える。
「ジョードゥが入ってるやつね?」とか何とか聞かれて、そうです、と短く答える。
想定外の展開。
マスターはにこやかだった。
色々考えすぎなのかもしれない。
だけど、考えた方がいいことだってある。
少なくとも、それが自分にとって大切な場所であるのなら。
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