こんばんは。
少し前の話ですが、久々に渋谷へ行きました。
最近はレコードを売りに行く以外、ほとんど訪れることもなくなってしまって。
青山のパン祭りへ遊びに行ったとき、渋谷から歩いていったのですが、その時に町を歩いていて覚えた違和感。
駅前の景色が、もうすっかり変わっていて。
で、その数日後にふらっと渋谷を再訪してみました。
たまたまパルコのリニューアルオープン当日だったその日、渋谷は何かの予感とエネルギーに満ちて膨張しているようでした。
昔に比べて随分わかりづらくなった駅構内の案内板をたどり、何とか地上に出ました。
渋谷ストリームから、スクランブルスクウェアへ。
新しくなったパルコから、かつてレコード村と呼ばれた遺跡のある辺りを通り抜け、宇田川町からセンター街へ。
歩きながら、おもむろにウォークマンでカセットテープを再生します。
ズボンのポケットには入らない、厚くて重いShockwave.
commonsenseの2nd、ressurectionをA-sideの一曲目から。
その瞬間、
自分の周りだけ空気が変わります。
このアルバムが出たのは1994年で、今は20××年。
四半世紀の時の流れに流されることのない音楽が確かにそこにあり、このテープが既にクラシックであることを改めて認識します。
ヘッドフォンが震える程の低音に揺さぶられて、心拍数とBPMがシンクロしていくのを感じます。
何かあるようで何もないショッピングモール、
すれ違う透明な人、人、人、
その中で、確かな重みのあるビート、
形あるものの叫び、
紛れもなく生きている自分。
どんどん漂白されて、どんどんつまらなくなっていく町が、その時だけは鮮やかに色づくようです。
再開発の名の下に、色んなものが破壊されていく世の中で、僕のやっていることはささやかな抵抗です。
だけどそれは単なるノスタルジーでも懐古趣味でもありません。(keepin'it real,)
20××年の東京を生きる上で、現実的に必要なツールとして、僕は部屋にSHARPのラジカセを置き、Panasonicのウォークマンを持って町に出ます。
この一年でカセットテープが100本以上増えました。

買い物に現金を使わない時代。
音楽はデータでダウンロードする時代。
何もないのに何かあるフリをする擬態。
身の回りのものが少しずつ存在感をなくしていく。
そんな中。
ラジカセにセットするテープ。
スマートフォンのキーボードみたいに軽くない、リアルに重い再生ボタン。
ウーファーのリアルな振動が目に見えるからこそ、そもそも音は空気の揺れなんだってことに気づける。
どこまでもリアルなドラムとベースが、呼び起こす生の実感。
2020年の東京。
その片隅で、今日も僕はカセットテープを再生します。
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