楔
- 2022/09/10
- 22:27
こんばんは。
今日は2022年・9月10日。
よく晴れた、爽やかな風がぬけていく気持ちのいい一日でした。
お店にいらっしゃる方々も、何となくウキウキしているような。
サンドイッチを持って、公園に行くような。
そんな風に見えただけかもしれません。
仕事帰りの道すがら、神社でお祭りをやっていました。
太鼓の音に誘われて、出店でかき氷とラムネを買って。
途中で出てきた獅子舞。

とにかく、気持ちのいい一日でした。
でした、と書くと、もう既に終わってしまった一日のようですが、9月10日はまだ終わっていません。
空には煌々と月が輝いています。
今日という日もあと少し。
ここに2本のカセットテープがあります。

NASのアルバム。
右のは2022年・今年リリースされたもので、
左のは1994年にリリースされた、1stアルバムです。
1stアルバムの中のHalftimeというシングルは1992年にリリースされてるので、ちょうど今から30年前です。
この2本のテープを、ダブルデッキのラジカセにセットして連続再生すると、30年分の時の流れが感じられるわけです。
30年、と言葉にするのは簡単ですが、実際のところそれはため息が出るほど濃密な流れです。
当店は、今日9月10日で丸8年経ちました。
30年には遠く及びませんが、自分達なりに濃密な時の流れを刻んできました。
8年の時の流れの中には、たくさんの出会いがあり、時に別れがあり、常にパンがありました。

これは、店の中から見える街路樹です。
どこにでもある、ただの木です。
でも8年間毎日のように見ていると、もうただの木とは思えなくなってくるから不思議です。
店もそんなものだと思います。
毎日そこにあって、あるのが当たり前で、自分が入るか入らないかは置いといて、とにかくそこにあるべきもの。
僕にも、そんな店がいくつかありました。
そのうちのいくつかは、もうありません。
町を歩いていて、そこにあったものが無くなっていた時の気持ち。
あるべきものがない、それを知った時の衝撃や喪失感。
この何年間かで何度も感じた気持ちです。
店だけじゃなくて、かつて通ったキャンパスや、働いていたビル、そういうものもいつの間にか無くなって、僕たちは日々少しずつ失っていくのだな、と感じています。
その一方で、パンを作ること。
吹けば飛んでしまうような一握りの粉から、ずっしりと重たいパンを焼き上げること。
無から有を創り出すこと。
そして出来上がったパンが、誰かに何かをもたらすこと。
これは、失われていく日々へのささやかな抵抗です。
掴みどころなく流れていく時間に楔を打ち込むごとくパンを焼き、その香りや風味を五感に刻みつける営みです。
そんな営みを、これまで続けてこられたこと、そしてこれからも続けさせてもらえることに感謝しつつ、末筆ながら9年目もよろしくお願いいたします。
今日は2022年・9月10日。
よく晴れた、爽やかな風がぬけていく気持ちのいい一日でした。
お店にいらっしゃる方々も、何となくウキウキしているような。
サンドイッチを持って、公園に行くような。
そんな風に見えただけかもしれません。
仕事帰りの道すがら、神社でお祭りをやっていました。
太鼓の音に誘われて、出店でかき氷とラムネを買って。
途中で出てきた獅子舞。

とにかく、気持ちのいい一日でした。
でした、と書くと、もう既に終わってしまった一日のようですが、9月10日はまだ終わっていません。
空には煌々と月が輝いています。
今日という日もあと少し。
ここに2本のカセットテープがあります。

NASのアルバム。
右のは2022年・今年リリースされたもので、
左のは1994年にリリースされた、1stアルバムです。
1stアルバムの中のHalftimeというシングルは1992年にリリースされてるので、ちょうど今から30年前です。
この2本のテープを、ダブルデッキのラジカセにセットして連続再生すると、30年分の時の流れが感じられるわけです。
30年、と言葉にするのは簡単ですが、実際のところそれはため息が出るほど濃密な流れです。
当店は、今日9月10日で丸8年経ちました。
30年には遠く及びませんが、自分達なりに濃密な時の流れを刻んできました。
8年の時の流れの中には、たくさんの出会いがあり、時に別れがあり、常にパンがありました。

これは、店の中から見える街路樹です。
どこにでもある、ただの木です。
でも8年間毎日のように見ていると、もうただの木とは思えなくなってくるから不思議です。
店もそんなものだと思います。
毎日そこにあって、あるのが当たり前で、自分が入るか入らないかは置いといて、とにかくそこにあるべきもの。
僕にも、そんな店がいくつかありました。
そのうちのいくつかは、もうありません。
町を歩いていて、そこにあったものが無くなっていた時の気持ち。
あるべきものがない、それを知った時の衝撃や喪失感。
この何年間かで何度も感じた気持ちです。
店だけじゃなくて、かつて通ったキャンパスや、働いていたビル、そういうものもいつの間にか無くなって、僕たちは日々少しずつ失っていくのだな、と感じています。
その一方で、パンを作ること。
吹けば飛んでしまうような一握りの粉から、ずっしりと重たいパンを焼き上げること。
無から有を創り出すこと。
そして出来上がったパンが、誰かに何かをもたらすこと。
これは、失われていく日々へのささやかな抵抗です。
掴みどころなく流れていく時間に楔を打ち込むごとくパンを焼き、その香りや風味を五感に刻みつける営みです。
そんな営みを、これまで続けてこられたこと、そしてこれからも続けさせてもらえることに感謝しつつ、末筆ながら9年目もよろしくお願いいたします。
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