東京の五月
- 2023/05/28
- 20:59
今日、街行く人たちが皆いい顔をしていた。
何だか微笑んで、または微笑んでなくても内側から込み上げてくるような多幸感で。
その多幸感の源は、人それぞれ色々あるんだろうけど、意外と一番多いのは、ただ気持ちいい日だから、というのではなかっただろうか。
かく言う自分だって、いい顔をしていたに違いない。
五月生まれ、ということを差し引いても、この季節が素晴らしいのは今更言うまでもない。
気持ちいい日、というのは、気候、空気、目に見えるものも見えないものも含め、目・耳・鼻・肌・口で感じるこの世界の手触りについての総評。
もっと限定的に言えば、風のこと。
風を、五感で味わうこと。
いい風が吹いている日は、気持ちがいい。
嫌な風が吹いている日は、落ち着かない。
シンプルな事だ。
人だけじゃなくて、植物にも風が必要、と最近知った。
特に室内で育てている緑は、風に当てないと元気がなくなる。
風、大切。
今朝は、今日から世界が始まりました!みたいな、神々しい太陽に頬を撫でられて、窓から外を見たらスカッと晴れた空が広がっていた。
それだけでもう今日が最高になる事は約束されたようなものだ。
パリの4月(April in Paris),
ニューヨークの10月(Autumn in New York).
世界中に美しい街と季節は数あれど、東京の5月もそれはそれは素晴らしい。
東京の五月。
響きもいい。
そんな、東京の美しい五月を最も濃く感じられそうな場所へ、先日行ってきた。
明治神宮外苑。

新緑と近代建築の饗宴。
植物と人工物の割合、バランスが、ちょうどいい。

こんなに美しい景色を、なぜ壊さなければならないのか、未だによくわからない。
再開発の名の下に、高層ビルを建てるらしい。
でも、高い所から緑を見下ろして、何がいいんだろう。
緑は、下から見上げるのがいいのに。
地に足をつけて、木漏れ日を感じるのが気持ちいいのに。
明日からはしばらく雨。
来年の五月も、この景色を見ることが出来るだろうか。
既になくなってしまった物や人の事、これからなくなっていくであろう物や人の事を考えながら、僕は戦場のメリークリスマスを聴いている。
まだ五月だというのに。
何だか微笑んで、または微笑んでなくても内側から込み上げてくるような多幸感で。
その多幸感の源は、人それぞれ色々あるんだろうけど、意外と一番多いのは、ただ気持ちいい日だから、というのではなかっただろうか。
かく言う自分だって、いい顔をしていたに違いない。
五月生まれ、ということを差し引いても、この季節が素晴らしいのは今更言うまでもない。
気持ちいい日、というのは、気候、空気、目に見えるものも見えないものも含め、目・耳・鼻・肌・口で感じるこの世界の手触りについての総評。
もっと限定的に言えば、風のこと。
風を、五感で味わうこと。
いい風が吹いている日は、気持ちがいい。
嫌な風が吹いている日は、落ち着かない。
シンプルな事だ。
人だけじゃなくて、植物にも風が必要、と最近知った。
特に室内で育てている緑は、風に当てないと元気がなくなる。
風、大切。
今朝は、今日から世界が始まりました!みたいな、神々しい太陽に頬を撫でられて、窓から外を見たらスカッと晴れた空が広がっていた。
それだけでもう今日が最高になる事は約束されたようなものだ。
パリの4月(April in Paris),
ニューヨークの10月(Autumn in New York).
世界中に美しい街と季節は数あれど、東京の5月もそれはそれは素晴らしい。
東京の五月。
響きもいい。
そんな、東京の美しい五月を最も濃く感じられそうな場所へ、先日行ってきた。
明治神宮外苑。

新緑と近代建築の饗宴。
植物と人工物の割合、バランスが、ちょうどいい。

こんなに美しい景色を、なぜ壊さなければならないのか、未だによくわからない。
再開発の名の下に、高層ビルを建てるらしい。
でも、高い所から緑を見下ろして、何がいいんだろう。
緑は、下から見上げるのがいいのに。
地に足をつけて、木漏れ日を感じるのが気持ちいいのに。
明日からはしばらく雨。
来年の五月も、この景色を見ることが出来るだろうか。
既になくなってしまった物や人の事、これからなくなっていくであろう物や人の事を考えながら、僕は戦場のメリークリスマスを聴いている。
まだ五月だというのに。
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