パン屋の息子
- 2014/10/13
- 21:40
こんばんは。
本日は以前より告知させていただいた通り、14時閉店というイレギュラーな営業でしたが、多くのお客様にお越しいただきとても嬉しかったです。
その一方で、パンがなくなってしまった後にいらっしゃった数組のお客様には申し訳なく思います。
今日、僕は世田谷パンまつりに行きました。
早めに営業を切り上げてまでそこに行ったのは、パンを食べたかったからではありません。
実際、パンを買う余裕は皆無でした。
僕は、映画を見に行ったのです。
http://talkshow6.peatix.com/
僕の友達は映画監督で、今回はパン屋が舞台の映画を撮ったのです。
友達の実家はパン屋でした。
今はもうそのパン屋はありません。
数十年続けてきた店を閉める、その日がくるまでの家族模様を描いた作品。
僕がパン屋を始めたとき、パン屋の息子である友達は多くを語りませんでした。
ただ、「お前にはこの映画を見てほしい」と言いました。
三連休の最終日、せっかくいらっしゃるお客様がいるのに店を早く閉めることは僕にとって苦しい決断でした。
で、初めは断ったのです。
すると、友達が珍しく強い調子で言い返してきました。
「この映画を上映することはこの先もある。でも俺の想いを届けることはその日その場所でしかできない。だから来い」と。
その友達からそんなに強く言われたのは初めてだったし、そこまでして伝えたいことというのが気になり、悩んだ末に14時までの営業とさせていただきました。
最後のお客様がお帰りになった後、店を飛び出し車で246を飛ばし、路上駐車したままダッシュで会場まで。
主人公の回想シーン。
「ぼくのおとうさんはパン職人です。でもぼくはパンがだいきらいです。」
というナレーションが流れた後、主人公のパン屋の息子が映されます。
何かを考えているような顔。
黙々とパンを焼く父。窯から出てくるパン。
段ボールにつめこまれたパン。娘に電話をかける母。
余ったパンを送る、という母。いらない、と断る娘。
実家に帰ってきた息子。黙って見つめ合う父と息子。
店を閉める父。何も言わず実家を後にする息子。
店の取り壊しの日、一人で家を出る父。後を追わない母。
息子のクローズアップ、流れるナレーション。
「ぼくのおとうさんはパン職人です。でもぼくはパンがだいきらいです。でもぼくはおとうさんがだいすきです。パンでみんなをよろこばせるからです。」
上映後のトークショー半ばで僕は会場を抜け出し、急いで店に戻りました。
帰りの車の中、友達が僕に伝えようとしたことを考えながら。
パン屋の息子は、なぜパン屋にならなかったのか。
ぼくはずっと考えていました。
彼は、なぜパンがきらいになったのか。
作中では毎日食べると飽きるから、と語られていましたがそれは真実ではないと思いました。
彼は、父の作るパンが必要とされているのを頭では理解している。
そのパンを作るためには、時に何かを犠牲にしなければならないほどの労働が必要であることも痛いほど理解している。
そしてその結果自分、いや父も孤独を感じている。
彼は父を愛している。
父の作るパンを認めている。
しかしそのパンが父子を遠ざけてきたこともわかっている。
だから彼は、パンがだいきらいだった。
僕の勝手な解釈も多分にあると思います。
でも、僕はそんな風にこの映画を受け止め、そしてこれはパン職人になることを選ばなかった男から、パン職人になることを選んだ男への不器用なエールだと受け止めました。
ものを作り続けること、その孤独と痛み。
葛藤やすれ違い、家族のあり方。
しかと受け止め、心に刻み付けました。
さて、偉大なパン職人とその息子に最大級の敬意を表しつつ、14時までの営業に理解を示してくださった多くのお客様に最大級の感謝を表しつつ、今日は終わりたいと思います。
明日は定休日、また水曜日からよろしくお願いいたします。
ありがとうございました!
本日は以前より告知させていただいた通り、14時閉店というイレギュラーな営業でしたが、多くのお客様にお越しいただきとても嬉しかったです。
その一方で、パンがなくなってしまった後にいらっしゃった数組のお客様には申し訳なく思います。
今日、僕は世田谷パンまつりに行きました。
早めに営業を切り上げてまでそこに行ったのは、パンを食べたかったからではありません。
実際、パンを買う余裕は皆無でした。
僕は、映画を見に行ったのです。
http://talkshow6.peatix.com/
僕の友達は映画監督で、今回はパン屋が舞台の映画を撮ったのです。
友達の実家はパン屋でした。
今はもうそのパン屋はありません。
数十年続けてきた店を閉める、その日がくるまでの家族模様を描いた作品。
僕がパン屋を始めたとき、パン屋の息子である友達は多くを語りませんでした。
ただ、「お前にはこの映画を見てほしい」と言いました。
三連休の最終日、せっかくいらっしゃるお客様がいるのに店を早く閉めることは僕にとって苦しい決断でした。
で、初めは断ったのです。
すると、友達が珍しく強い調子で言い返してきました。
「この映画を上映することはこの先もある。でも俺の想いを届けることはその日その場所でしかできない。だから来い」と。
その友達からそんなに強く言われたのは初めてだったし、そこまでして伝えたいことというのが気になり、悩んだ末に14時までの営業とさせていただきました。
最後のお客様がお帰りになった後、店を飛び出し車で246を飛ばし、路上駐車したままダッシュで会場まで。
主人公の回想シーン。
「ぼくのおとうさんはパン職人です。でもぼくはパンがだいきらいです。」
というナレーションが流れた後、主人公のパン屋の息子が映されます。
何かを考えているような顔。
黙々とパンを焼く父。窯から出てくるパン。
段ボールにつめこまれたパン。娘に電話をかける母。
余ったパンを送る、という母。いらない、と断る娘。
実家に帰ってきた息子。黙って見つめ合う父と息子。
店を閉める父。何も言わず実家を後にする息子。
店の取り壊しの日、一人で家を出る父。後を追わない母。
息子のクローズアップ、流れるナレーション。
「ぼくのおとうさんはパン職人です。でもぼくはパンがだいきらいです。でもぼくはおとうさんがだいすきです。パンでみんなをよろこばせるからです。」
上映後のトークショー半ばで僕は会場を抜け出し、急いで店に戻りました。
帰りの車の中、友達が僕に伝えようとしたことを考えながら。
パン屋の息子は、なぜパン屋にならなかったのか。
ぼくはずっと考えていました。
彼は、なぜパンがきらいになったのか。
作中では毎日食べると飽きるから、と語られていましたがそれは真実ではないと思いました。
彼は、父の作るパンが必要とされているのを頭では理解している。
そのパンを作るためには、時に何かを犠牲にしなければならないほどの労働が必要であることも痛いほど理解している。
そしてその結果自分、いや父も孤独を感じている。
彼は父を愛している。
父の作るパンを認めている。
しかしそのパンが父子を遠ざけてきたこともわかっている。
だから彼は、パンがだいきらいだった。
僕の勝手な解釈も多分にあると思います。
でも、僕はそんな風にこの映画を受け止め、そしてこれはパン職人になることを選ばなかった男から、パン職人になることを選んだ男への不器用なエールだと受け止めました。
ものを作り続けること、その孤独と痛み。
葛藤やすれ違い、家族のあり方。
しかと受け止め、心に刻み付けました。
さて、偉大なパン職人とその息子に最大級の敬意を表しつつ、14時までの営業に理解を示してくださった多くのお客様に最大級の感謝を表しつつ、今日は終わりたいと思います。
明日は定休日、また水曜日からよろしくお願いいたします。
ありがとうございました!
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